暁星国際学園寄宿舎

寄宿舎スタッフ

Domitory Staff

寮長のしごと

暁星国際学園は寮(寄宿舎)があることでも有名だが、イギリスやアメリカなど海外の教育機関ではあたり前の存在の寮制学校が、日本ではまだまだ特別な存在として位置づけられている。トマス寮の二宮寮長ご夫妻にお話をうかがった。

二宮寮長は開口一番、「私は、ここで仕事をするようになって8年たちますが、こういう混沌としている世の中で、このような寮の生活を経験していくことの意味をあらためて考えさせられることが多いのです。年少者の犯罪が多発するようなこういう世の中だからこそ、集団生活というか社会生活の体験を早い段階で経験するということはとても大事だと思うのです。」

そして、「兄弟げんかの経験がないという子がとても増えています。一人っ子の場合はもちろんですが、二人兄弟、それも男女一人ずつという組み合わせの場合にもそのようなことが言えるようです。昔は、3人、多いところは5人や6人兄弟というのがあたり前だったわけですが、一つのものを取り合うというような経験がいまの子たちはないんです。ほしいものは何でも手に入ってしまう。年々、こういう状況が強まってきているように思えます。」

二宮寮長は、生活の大半を子どもたちと一緒に過ごす。自宅に帰るのは月に1、2度。朝は5時過ぎには起きて、花に水を差し、植木の手入れをする。子どもたちが起きてくる6時過ぎからは、一人ひとりの体調を把握するために担任の先生と一緒に点呼を取る。寝ぼけまなこの生徒には、父親のように厳しく接することもしばしば。

「ここにいる子は大半が中学か高校から入寮してきている子たちです。それまでは、家でお母さんやお父さんと一緒に暮らしてきたわけですから、入寮してまもなくは、自分の服もたためない子もいます。でも、私たちの子供のころを考えてみればわかりますが、だれでもはじめから立派にできる子はいません。ですから、すぐに結果を求めようとしないように、長い目で見るようにしています。少なくとも3年や6年は一緒に生活するわけですから、その後にどれだけ成長するかということが大事になってくるわけですね。」

二宮寮長はご夫婦でこの仕事にかかわっているため、仕事も私生活も一緒ということで、いろいろとご苦労されることもあるでしょうね。

奥様「苦労というよりは、普通の人がなかなか得られない喜びがあります。大家族の父親、母親というような役割がもう馴染んでしまっているので、仕事そのものが生活の中に埋没してしまっているという感じですね。ときどき卒業生が訪ねてきてくれるのですが、そのときに、彼が入寮したときのことを思い出すんです。

昨日も、いまテレビで活躍している卒業生が、撮影の帰りだと言って寄ってくれたのですが、彼が中1で入学してきたときには、うちに帰りたいと、ホームシックで泣いてばかりいました。しかたなく私がよく添い寝をしたものです。彼のお母さんとも当時のことを思い出して笑い話のようにして話すことがあるのですが、いまは立派に芸能界で活躍している。マスクもよいけれど、体もがっしりしていて、彼などは寮で成長した典型だと思います。ここでの生活が忘れられないらしく、よく立ち寄ってくれます。」

部屋の人数は何人ずつですか。

二宮寮長「彼が中学生のころは、現在のような2〜3人部屋ではなくて、今はない16人部屋に12〜13人で生活していました。いまは、中学生が2人〜4人、高校になると二人か、3年生になると個室が与えられます。」

そうやって複数の生徒が同じ部屋で生活するとなると、けんかやもめごとなどもあるのでしょうね。

二宮寮長「寮での生活は、それまで家では通用していたと思っていた自己主張が通らずに、必然的に自分でいろんなことを考えざるをえません。友達関係で悩み、夜中に寮を飛び出して千葉市まで歩いていった子も一人いましたけれど、彼もいまは立派な大人になっています。当時はいろいろ葛藤があったが、そのころのことが懐かしく忘れられなくて、とても良い思い出だと言っています。

いま教育実習できている二名もこの寮で鍛えられた人物です。食べ物の好き嫌いがあって、それではここでは生きていけないので、必然的に何でも食べるようになったと言っています。」

奥様「いま医学部にいっている子が言っていました。『勉強は意識してやらなければ身につかなかったが、寮での社会性は、ただいるだけで身についた』と。その子は、大学受験のときにそのことを痛切に思ったそうです。それは、『面接(グループディスカッション)のとき、社会人編入生などの年上の人もいたが、まったく動じない自分を意識した。』というのです。

私の子どもはもう大きいけれど、もし、小さい子どもがいたら、絶対に寮に入れたいと思います。先日、帰りたい、帰りたいといつも泣いていた子が、いま、ちょっと悪さをして別室で反省中なのですが、昨日、『僕はここから追い出されてしまうのかな?』と聞いてくるんです。あれっ、帰りたかったんじゃないの、と聞くと、帰りたくないというんですよ。すこしずつ、でも大きく成長しつつあるのがよくわかります。

ちょっと肥満体質のAくんは、試験中だけはお菓子を食べさせてくれと交渉してきます。普通は我慢しているのだけれども、ストレスがたまるというんですね。我慢しなくてはいけないことと、我慢しなくても良いこと、その判断が子どもにはむずかしいので、いっしょに考えてあげることも私たちの大事な仕事、なんでも我慢我慢というのは、結局ストレスだけがたまってしまうものなんですね。」

入寮してくる子の最近の傾向は何か変わってきていますか。

二宮寮長「いままでは、海外赴任などの事情があって入寮してくるケースが多かったのですが、最近は通学が可能なところに住んでいる親子でも、自立したいという希望をもって入寮してくるケースが目立ってきました。また、寮に入るということを断念するときの理由に多く見られるのですが、うちの子はとても寮生活は無理だとおっしゃる母親自身が、実は子離れできていなくて、結局子どもの可能性を押さえ込んでしまっていることもありますね。

この前、高3だった子が卒業して、その子のお母さんが「久し振りに一緒に生活してみて、わが子の成長ぶりに驚いた、自分の着る物一つたたむことさえしなかった子が、まったく手がかからなくなった。それどころか、『10年後20年後に自分がどんな生き方をしているかということが大事で、胸張って生きていられるようにしていかないといけないね』なんてことを言うんですよ」と言って喜んでおられました。

平和の続く日本では、一人っ子の家族が増えているということも手伝い、毎日の生活の中で起こるさまざまな局面を自分の力で打開していかなければならないという立場に立たされることが非常に少なくなってきているようだ。

本人の知らないうちに周りの人が先回りして配慮してくれていることに慣れすぎて、いざ社会に出て、いろんな問題にぶつかったときに、それを解決していく能力が育っていないことに愕然とする。また、できないことを全て自分以外のせいにするという傾向もこれらと大いに関係あるようである。

寮生活で得られるもの、それは本日うかがった話以外にもたくさんありそうであるが、「可愛い子には旅をさせろ」という言い古されたことばに、妙に新鮮味を感じたものである。

聖マリア・ブティックのしごと

「寮長のしごと」その2、今回は、寮とともに毎日の生活に密着している存在の日用生活用品売り場「聖マリア・ブティック」におじゃました。ここは、寮そのものではないが、寮と同じように、生徒たちが生活を営む上で、毎日のように行き来する場所であり、歯ブラシやシャンプー、学習に必要な文具類など、朝起きてから夜寝るまでのあらゆる場面で必要なものを扱っているところである。「聖マリア・ブティック」が生徒たちとどのようにかかわり、生徒たちにとってはどんな場として映っているのか取材した。

聖マリア・ブティックの、お店としての特徴をお聞かせください。

阿見さん「この学校は自然環境には最高に恵まれているのですが、一番近いコンビニでも歩いたら20分はかかります。そういうところなので、生活必需品はほとんど揃えるようにしています。ただ、チェーン店のように大量に仕入れるわけではないので、決して安くはないと思います。単に生活に便利なために存在しているのではなく、どちらかといえば、物を買うことを通して、社会生活の一部を学ぶ場所という位置付けと考えています。

また、生徒が入学するときに行う制服の採寸はこの聖マリアブティックが行いますので、ある意味で入学してきて最初に接点のある場所であり、肩幅やウエストなどの寸法を管理しているために、1年後、2年後に体形がどのように変わったかを知るには、私たちのところに来て聞くのが一番わかりやすい、そういうところです。ここの学食では、食生活がバランスよく考えられているせいか、入学後に太る子は非常に少ないですね。」

子どもたちとどのような関係作りを心がけていらっしゃいますか?

阿見さん「親元を離れて生活する子どもたちにとって、寮の先生方はある意味で親代わりという役割があると思いますが、ここではそれと違った、一定の節度という距離感を保ちながら接することを心がけています。

たとえば、中1ぐらいだと「これ何円ですか?」と聞いてくる子がいます。そのとき、「そういうときは、これいくらですか?と聞いたほうがいいと思うよ」と教えてあげます。また、ここでは実際に現金で物を買うことはしませんが(寮生は基本的に現金を持たないようにしているため、すべて伝票で買うことができる。)、買うという意味では同じこと、なんでもかんでもほしいものをほしい分だけ買っていたらきりがありませんから、限りあるお金で本当に必要かどうかを考えることも教えてあげげなければなりません。そのために、MDをほしいといってきた子に対しても、10枚セットのものを、ときにはばらして5枚だけ売ってあげるというようなことをすることもあります。」

金刺さん「寮の同室の子と喧嘩したりして、寮長にも相談しにくいようなときなどは、用もないのにここのベンチに長い間座っていたりすることもあるんです。そんなときは、少し熱でもあるの?とおでこを触ってあげたりすることで随分落ち着くようです。子どもたちもそうした触れ合いを求めているんでしょうね。こういうとき、親だと度を超して甘やかしてしまうこともあるんでしょうけども、子どもは子どもなりにその辺のところをぐっと耐えながら、人と付き合う間合いのようなものを会得していっているような気がします。」

阿見さん「ここは、いざというときの駆け込み寺のような存在でもあるんですね。子どもたちにはいつでも居場所を作っておいて上げたいと思います。」

寮制ということは、組織の中で他人とかかわりながら生きていくというすばらしい経験を積める場所であると同時に、ときにはそこから抜け出したいと思うことも子どもにはあるわけで、聖マリア・ブティックはそういうときの避難場所にもなっているようだ。

阿見さんは、19年前からこのブティックで仕事をされていると聞きましたが、長い間にはいろんなエピソードもあるんではないですか?

阿見さん「嬉しいことは、10年以上も前に卒業した生徒が、同窓会などがあるたびに立ち寄ってくれます。『やんちゃ坊主だった子がこんなにも立派なパパになっちゃって』と思うときがとても嬉しいです。本当にいたずら坊主だった子が、『おばちゃん、これ飲んでよ』なんて言いながらお茶を買って来てくれたりするときは、へぇあの子がこんなことをしてくれるようになったんだ、と感動することも多いですね。

ここに来る生徒には『あなたが生まれる前からいるのよ』と言ってやります。生徒といつもやり取りしているので、こちらも若くいられますし、仕事というよりも家族の面倒を見ているような感じで、職場としては最高じゃないですか。」

金刺さん「生徒から見ると、私たちは先生と違って気楽に話ができるようで、ある先生が言っていましたが、ブティックに来るときの姿が本当の生徒の姿かもしれない、と言って、ときどき生徒の様子を聞きに来ることがあります。」

お店を取り仕切るお二人は、学校の職員というのが正式な立場である。そのため、当然ながら規律を乱したり、わがままを押し通そうとする生徒がいる場合は毅然とした態度で生徒に接することも要求されてくる。しかし、ご自身の子育ての経験を生かしながら、目先の対応ではなく、子どもの成長過程に沿った的確な判断による対応ぶりが、子どもたちの言動からうかがえる。

阿見さんは、「中学生から高校生になると急に大人びて見える子が多いんです。いたわる気持ちが出てくるというか、『叔母ちゃんたちも大変だね』というような声をかけてくれる子がいます。」このことばが全てを物語っているように思える。