隣人愛に基づく寄宿舎生活―キリスト教的愛に基づく共同体―
生徒たちは寮に来て始めて親のありがたさを知ります。親に対して感謝の気持ちがおこり、大切にしたいという気持ちが強くなります。親も子どもを手放してみて、真剣に親子関係を考え始めます。
生まれてから「あって当然」だと思っていたものから離れてみて自立が始まります。自分のことは自分でする、という当たり前のことをするようになって自分を知り、他人を知ることができるようになります。
寮生活を通して、我慢を知り、自制心を養い、そして他人のために役立つことをする喜びを学びます。寮生活を共にした仲間は一生の財産です。お互いに長所や欠点を知り尽くしていて、何の気兼ねもなく付き合えるのです。みなさんも是非、暁星国際学園で生活しませんか。
「寄宿舎生活の手引き」から
寄宿舎(寮)での生活は、異なった環境に育った者同志が共同で生活すると言う事ですから、相手の人格を尊重し、相手の立場になって考え、互いに思いやり、感謝の気持ちを持って接し、自らトラブルを避け、他に迷惑になる行為を慎み、より善き人としての人格形成に努めましょう。
放送や掲示に十分に注意を払い、寄宿舎(寮)生活が快適に、また円滑に運営されるよう心掛けましょう。定められた規則や共同生活のルールを守るよう寄宿舎(寮)生相互間で戒め合いましょう。そして常に「5分前」の精神で機敏に行動しよう。~文字間隔を均等にして下さい。
特に次の事項を心掛けましょう。
- 生徒の本分である学習に専念する。
- 寄宿舎(寮)内の整美維持に心配りをする。
- 健康的な生活を送るため、規則正しい生活をする。
- 誰にでも進んで挨拶をしてお辞儀をする。
- 敬語を使い、正しく美しい言葉を使う。
- 青少年にふさわしい清楚な服装をする。
寮生活(中学1年男子 東京都出身)
僕は小学校4年生の時から寮生活をしていました。親から離れて生活することへの憧れや、その学校が自然に恵まれた土地にあり、都会では体験できないことをやりたかったので行っていました。僕がこの暁星国際を選んだ理由の一つにも中学でも寮で充実した日々を送りたいというのがあります。
さて、寮に入ってからですが、思っていたよりも大変な生活であることがわかりました。例えば自習が3時間近くあることや、自分の時間は自分で作らなければならないなど、スケジュールが詰まっているからです。しかし、寮に入ることで精神的に強くなり、周りに迷惑を掛けないようにするなど、これから社会に出て必要なことが身につきます。
まだまだ始まったばかりの寮生活ですが、6年間自分や周りのためになるような充実した生活を送りたいと思います。
寮生活(高校3年男子 宮崎県出身)
親の転勤に左右されることなく一つの学校で3年間学ぶために寮での生活を選択しました。本当にやっていけるのか心配はありましたが、自立し、目標に向かって真剣に打ち込める整った環境に自分を置くことで、強い人間になれるのではないかという期待の方が大きかったと思います。時間に関してはかなり意識するようになりましたし、日常で感じる不満に対しても視点を変えてみたり、自分なりにうまくやっていこうとするようになりました。毎日を共に過ごす友人や先輩方、舎監の先生方とのコミュニケーション能力、挨拶をはじめとする社会的マナーなど様々なことを、培うことができました。また勉強という面では、規則正しい生活や確保された自習時間があり、妨げとなるものは一つもなく、妥協しがちだった自分は変わりました。家から離れてみることで、自分が今までどれだけ甘えてきたかも分かりました。汚れた服も洗濯され、きれいに畳んであり、部屋もいつの間にか掃除され、時間になれば食事が出てきました。今までの生活から抜け出したことで他人の気持ちをよく考えるようになり、思いやりや感謝の気持ちが育まれました。その結果、身の回りのことは自分でやるようになり、他人の迷惑になることは避け、何か他人の役に立てないかを考えるようになりました。3年間に得られたものは想像以上でした。
寮生活(高校1年女子 千葉県出身)
私がこの寮に入った理由はただ一つ。「家から離れるため」であった。私は中学に行くだけでも車で30分近くかかったし、家の周りには山と森林があるだけ。何処へ行くのにも「車」は必需品であった。親の負担を減らすことと、一種の好奇心で寮にはいることを決めた。寮は私にとって快適な場所だった。ここも自分の家と同じように周りは山と森林があるのみだが、学校には歩いていけるし、30分という無駄だと思っていた時間が減った。私にとって寮の規則正しい生活は苦ではなかった。むしろ6時半起床は遅すぎるし、自習時間もそんなに長いわけではない。全くといっていいほど辛さがなく、5月の中間休暇に帰省するのが嫌だったぐらいであった。「この寮に入って良かったこと」とあえて述べるなら、「自分と他人との違いを認め、尊重できる」ということだろうか。自分にとって当たり前だと思うことが他人にとっては当たり前ではない。私は3世帯家族であったため、祖父・祖母という戦争中を生き抜いた人がいた。戦時中、食が貧しかったのは当たり前で、そのためか私の家は食べ物だけではなく、ものでさえ、簡単に捨てたりはしなかった。その影響を受けた私は「もったいない」という言葉を常に掲げ、しかもそれが過剰だった。だから周りから「卑しい」と言われた。相手だって決して悪い意味で言っているわけではないし、しかもそれは育った環境の違いによるものだから仕方がないと思うようになる。私も他人との違いを認めることができるようになったし、お互いにいい所があることがよく分かってきたと思う。



















